2014年02月27日

E442

弥生がタイから連れて帰ってきてくれたノリさんのバンスリ。屋久島でご対面。筒だなあ、笛だなあ、鳴るなあ。

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2014年02月24日

屋久島に帰ったら桜が咲いていた。

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先月の那覇から、ずっと桜がどうのこうのって日記に書いている気がする。桜前線と一緒に北上して帰ってきたのだろうな。
このまま屋久島で海びらきが北上してくるのを待つとする。

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2014年02月23日

帰島

屋久島に帰ってきたよ。カミさんが港まで出迎えてくれました。

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最初の飯はよろん坂で飛び魚ハンバーグをいただきます。ああ戻ってきたなァ。

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2014年02月22日

甲突町

春の陽気。甲突町をうろうろ。今回は桜前線とともに北上した旅だった。
この界隈は横浜は日の出町界隈と雰囲気が似ていて懐かしい。川沿いの旧色街。

役目を終えたビジネスホテルの電飾看板。昭和の香り。

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2014年02月21日

鹿児島へ

マルエーフェリーで鹿児島へ。昨日は欠航し、今日も時化のためかなり遅れて深夜の喜界島寄港。すぐそばの港は波が高いというので、島の裏側の早町港へ、真っ暗ななかをタクシーで走る。

雨まじりの喜界島を深夜2時に出港して8時間、屋久島の影が見えてきた。あれは永田の浜かな。左舷には口永良部島です。

ここで下船したらばもう我が家なんだけれど、この「フェリーあまみ」は屋久島をかすめて鹿児島本港を目指します。帰宅はもう暫しおあずけ。

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昔は島間で交流があって、黒潮に乗って文化がグラデーションしていたのに、今は島間の往来は鹿児島をハブにしないとならない。

近いのに遠いお隣さん。どこか寂しいのです。



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ハンナ・ハーレント

最終日に間に合った。鹿児島ガーデンズシネマで"ハンナ・ハーレント"を観てきた。

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根源的な悪とはなんだろう。悪は常に悪魔のような形をしていて欲しいと願うのが人間の本音なのか。勧善懲悪ほど分かりやすく、ラクな世界はないものね。よって、余程の悪をなした人間は、凡庸であってはならないと考える。悪魔でなければならないと欲する。

ナショナリズムは被害者意識の特例を集団で共有し、そこに依存する。ナチスの所業は決して許されるものではないが、100%純然たる被害者としてユダヤ民族を神格化すれば、ゲルマン優位を唱えたヒトラーとなんら変わりない。人が人でたある為には考え続ける必要がある。考えることを放棄することは人であることを放棄すること。

6万人を殺したSS幹部アイヒマン。彼はモラルと統制の狭間で揺れ、個人の正義を顧みなかった。考えないことは心地よい。だから彼らは考える者を糾弾する。温い羊水に揺蕩っていたい。だからそれを阻害する輩は敵となる。冷酷な真実から目を背けていたいんだ。邪魔しないでくれ、と願う。

悪魔は悪魔の形をしていてくれさえすれば、思考を放棄することができるのだ。つまり人間であることを放棄することができるのだ。作品のテーマが興味深かっただけに、映画であることを活かしきれなかった演出が残念。良い映画は無党派層にこそウケる作りであって欲しい。


映画がはねて、駅前のかごんま屋台村へ。ちょっと前に一人でここに寄ったカミさんが、酔って無銭飲食をはたらいたかもしれないのだが覚えていないので確かめてきてくれという。

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お店のお兄さんはそんな女がいたことを覚えていて、ちゃんとお代は頂いたと思いますよたぶん(笑)とのこと。ゆるいノリである。

そんでもって、いつもの「はるちき」に顔をだして〆。

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2014年02月20日

延泊

昨夜は時化てフェリーは欠航、喜界島に閉じ込められました。

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そのおかげで新しい出会いがあって、心地よい酩酊と翌朝の晴天があります。
世界はうまいこと出来ている。

喜界島の神さんはやり手であるなあ。


公民館に再び顔を出すと、昨日久保けんお氏の展示を案内して下さった学芸員氏がいた。昨夜は彼の紹介で行ったライブハウスで島酒をたんまりご馳走になったのである。今日は今日で、ちょうど通りかかった顔見知りの神父さん(牧師さんだったかな)をとっ捕まえて、この人に風葬を案内してくれ、と頼んでくれた。クリスチャンの方にテラ(この地域でいう祀り所、洞穴)を案内して頂くというのもシュールである。

その場所は島内に何箇所も残っているが、ここは墓地の裏手。

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珊瑚質の岩肌をくりぬいて遺骸を収める室がある。暗い闇に目が慣れると、壺がいくつか並んでいるのが見えた。白いのはお骨だろうか。

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ついでに鍾乳洞や戦時中に戦闘機を隠した壕も回ってくれた。当時は島全体が戦闘母艦のようだったという。この島の地の利と、奄美大島ほどに大きくない人口がそうするのに都合がよかったようだ。

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鍾乳洞は軍が施設として使いやすいように鍾乳石や石筍を切断したりと破壊された。

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2014年02月19日

風葬

世論から喜界島にかけて残る風葬。

祖母、祖父の遺骸は浜辺のガン蓋や山の風穴で溶けるのを見守る。その間、三年与。

現世で穢れた肉体は、島の風に浚われて清らかな白骨となる。
骨を洗う儀式を経て、解き放たれた肉体は遥かニライカナイへ。

親孝行もここに極まれり。

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(写真:村上光明氏の写真集より)
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戦闘指揮所

太平洋戦争中、喜界島の空港は海軍の航空基地であった。

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米軍の沖縄上陸後は、戦争遂行上の最重要基地として米軍機の猛攻撃を受けた。

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昭和20年まで使用された。

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久保けんお氏

喜界島の公民館に設置された、久保けんお先生の展示を見に行く。

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氏は南日本を中心に民謡を採譜、保存と啓蒙に努めた方。屋久島の民謡、わらべ唄の資料も数多く遺されています。

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