あのとき、第一報をあの場所で受け取り、英語のメディアとネットからしか情報を収集できないという状況から、現在の見方に積み重なっている。
遠い視点を経験できたのはラッキーだし、故郷の仲間とその日を共に通過しなかったのはアンラッキーだ。
宮之浦の益救神社(やくじんじゃ)の境内で、復興支援チャリティバザーがあり、カミさんも古着や靴を持参して出店した。思っていたより盛況で、数千円からの売り上げ。その何割かを義援金としていた。
オレは義援金や募金っていうもののあり方に疑念があるので、労働奉仕のみ。本来はお役所が素早く計上すべき費用を民間が募金として補完してしまうことに不安を感じるのである。
ステージで地元の子どもたちの太鼓演奏が始まった。町の至るところに据え付けてあるラウドスピーカーからは黙祷のアナウンスが流れる。
それから奈良裕之氏の演奏。音楽というよりはメディテーションといったほうがしっくりくるな。風が強くなってきて寒いからもう帰るよオレは。

祈りって、個々の祈りが磁場によって集合することはあっても、集合が祈りに昇華することはない気がする。