2006年12月15日

女流作家

なぜか分からないが、女性の作家の本は面白くない。個人的な主観であって普遍性がないことは分かっているし、蔑視的な視点にならないよう努めているのだが、面白くない。久々に気になった内容の女流作家の本があって手に取ったのだが、なんとか完読したものの、消化不良だ。男と女は先天的にも後天的にも異文化なのだと再認識する今日この頃である。でもまあ、異文化に触れるというと旅費であったり学費であったり、何かと手間のかかるものなので、手軽に触れ合える異文化が近いところにあるのだ、と考えるとなんだかトクした気分にもなれるのである。それを言ったら、男だって変なやつは相当に不思議な在りようをしているのだけれども。

前述のようなことは昔から感じていたことなのだけれど、それとは別に自分自身も歳をとるごとに視野が狭くなっていっている感触はある。日常を暮らしていてふと我にかえると、昔はまあ我慢できたことがもう無理っていう前提で行動していたりするのである。こういうのはちょっと疲れて電車を待っているときなどに空を見上げたりすると沸き起こってくる感覚なのだが、詰まって動いているときにもこうオープンでいられるかどうかが、狭くなった視野とだましだましつきあっていくためのポイントかもしれない。できないことを分かってるのとそうじゃないのとでは、結果が大きく異なるからである。

いま思いついたのだが、感覚を喜怒哀楽に分けて考えてみて、すべてにバランス良く自由でいられるか、という捉え方をしてみるのも面白い。自由か、というのはできる限り「そうじゃない」可能性を想像できるか、という意味なのだが、例えば”怒る”ことに関しては注意深く、オープンな姿勢で捉えられても”喜”もしくは、笑いに関して不自由なスタンスで生きている、というような人を見かけることは少なくない。(私も含むA型日本人には多いのではないか。)

そういう喜怒哀楽の分布も個性であり欠けていることも個人の魅力であったりするのだが、固まってしまうことは即ち損をする可能性を高めることであるので、私は得をしたいなあ、なんて考えている。
posted by abesin at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
この記事へのコメント
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/56163530

この記事へのトラックバック
<< 2023年01月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
過去ログ