
"Sleepwalker"のアルバム、"The Voyage"が良い。メロディもリズムも良いのだけれど、特に構成が絶妙だ。
時間の使い方が多様化する中で、音楽と真正面から対峙するっていう時間の遣い方が割をくっている。これは別の角度から見ると幸せなことでもある。それによりズームアウトして、生活のシングル・パーツとする聞き方が主流になった。一瞬のダイナミズムというよりも、曲を通して、アルバム全体を通して、リスナーにどういう時間の過ごし方を提供できるかが音楽のパッケージングとして求められている。
"Sleepwalker"のメンバーは皆、音楽的にかなりのレベルではあると思う。が、それに加えてDJ的な視点で俯瞰するプロデューサーの存在が大きい。単なる良質なジャズ、というだけなら、旧盤を掘り起こして聴いているだけでもかなりの遺産も持っているから、わざわざ新譜を聴く意味はない。音は最良でも、「聴かれ方」としてのメッセージを含んだ作品は移り行くライフスタイルの中で選択肢はリアルタイムでしからないから、その辺りを上手く突いた本作が魅力的に映るのは然るべきだろう。
先日も幾つかの新進クラブジャズ・バンドのライブを見る機会を得たが、音としては、申し訳ないけれど、まあ普通だ。聴いたことある感じ、と言えよう。しかし、曲順であったり、ソロ終わりの処理であったり、その空間に訪れた客がどんな楽しみ方をすればより素晴らしいか、予めメッセージを含んだ空間を創っている点でプロデューサーの力を強く感じる。もちろん、踊ろうが、飲もうが、喋ろうが、自由なのだけれど、その空間に有り得る各パーツを「選択」して提供することを表現と呼べる高みに持っていった彼らの存在は大きい。
音楽の聴き方をいちいち兎や角されたくない、という向きもあるだろうが、ソムリエの存在を否定する人は少ないだろう。ワインそのものを造ったのは彼らではないが、その案内人としての彼らの表現に感動することも多いからだ。音楽に於いても、そういった成熟したヒントの組み合わせを楽しめる時代がやってきたのだ。仕事に燃えるOLさんや、遊ぶのに忙しい女子高生の諸氏も、テレビやラジオのチャートから音楽を選ぶ、以外の選択肢がようやく開けてきたのだ、ということにしておきたい。
本アルバムの残念な点を敢えて挙げるとすると、ファラオ・サンダースのソロが期待程には突き抜けてなかったこと(これは全盛期を過ぎているので仕方ない)、吉澤氏の自宅で録っているので音質がイマイチ、といったところか。しかし、飲んでたりするとき程、格好良く聞こえるアルバムだ。私にとっては。ロック、お代り。