2014年03月12日

3月11日

「3.11」についての思い入れは各々あろう。一里塚であったり墓標であったり栞であったり記憶の咎であったり・・・。

ある種の晴れと霽れを否定する気は毛頭ないが、日々を生きる人間にとってそれはただ日付、つまり記号でしかないのであって、神格化したり、況してや依存する対象であってはならないと思うのだ。黙祷したら救われるなんてものではないんである。

云うならば、"毎日が特別"なのであって、黙祷する必要があると考えるならば毎日14:46頃に黙祷したらいい。忙しいから毎日なんて無理って、そんな向きはその程度のことなのだと気づいたらどうか。

しかし、それを責めるつもりで言っているのではない。
人が生きる日々とはそういうものなのだと思うからね。日々の考えること、日々の選択し続けることをやめないことこそが、本当の3.11に対する餞心なのだ。

同じ理由で、"誕生日"を必要以上にピャーイ!ピャイ!してるのはどうかねぇ?っていつも感じている。
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類
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