2013年06月30日

地球少女アルジュナ

「もしも言葉が過ちなら、どうして人は言葉に頼るの?」

「言葉は形を与えるから。」

「形?」

「言葉は移ろいやすい気持や、計り知れない現実に形を与え、その形をいくつも組み合わせることで流れ去る記憶をまとめたり、まだ見ぬ未来へ想いを巡らす力を与えた。人はもし言葉に出会わなければこんなふうに考えることさえできなかったのかもしれない。」

「言葉が考えを?」

「しかし人は言葉の力に夢中になるあまり、言葉を記す文字さえも生み出し、過ぎ去った時を長く書き留め、言葉に囚われ今を生きることを忘れた。」

「そう、今を忘れ、自分と同じ言葉を話す人間以外の、天高く舞う鳥や、けものや、野に咲く花や、森や、海や、目に見えぬそよ風の、言葉にならぬささやきを忘れていった。」

「忘れたのは鳥や風のささやきばかりじゃないわ。人間同士だって、同じ言葉を話す人と人とだって、いつも気持ちはばらばらじゃない。」

「やむを得まい、言葉は分けるのが仕事だから。」

「言葉が、分ける?」

「君とぼくが呼びあうとき、二つの名前は、君とぼくを遠く離れ離れに分けていく。」





 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月29日

フォルクローレ

フォルクローレのバンド、「タンタナクイ」が屋久島でライブを催すというので、宮之浦の老人憩いの家へ行ってきた。

途中、安房のたなか屋の前でDちゃんが屋台を出していたので寄らせてもらう。ケバブサンドの肉の部分を屋久島名物のサバ節に置き換えたオリジナルのドネルサンド。ソースもサバに合うように工夫されていて、通りかかってやっていると、つい引き寄せられてしまう味。

03.jpg


フォルクローレを聴くのは何十年ぶりであろうか。小学生のときに東京は新大久保で開講されていたサンポーニャ教室に通っていたのだけれど、そのとき以来かな。

04.jpg


大人になってから聞いてみると、これはなかなか不思議な音楽だ。旋律は稲っぽいのにリズムは肉食のそれである。

近いルーツのモンゴロイドの音楽だから、懐かしい響きがするのは当然のこととして、違う土と空気で育っている感触もちゃんとある。ケーナは尺八と近い構造の楽器だけれど、ビブラートのかけ方とか2本のケーナでハモるスタイルとか、やっぱり外国なのである。

ハイショウという、正倉院にも収蔵されているサンポーニャに似た楽器も吹いていた。見た目は近いのだが、篠笛のようにまとまり感のある透き通った倍音が日本の楽器っぽい。

ライブ中盤に、「Llaqui runa」という曲を演奏した。この曲は自分のオリジナルの鼻歌だと思ってときどきフンフンしていたのだけれど、オリジナルじゃなかったことが判明、というか20年の時を越えて思い出した。危ないところである。タグを付け間違えたり、レコードでいうところの隣の溝と混ざって収納していることがよくある我が脳みそ。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月28日

日本の青空

有志の方たちの尽力により、屋久島でリレーしてかかっている映画、「日本の青空」を観てきた。

02.jpg


この映画は、改憲派からGHQによる押し付けであるからと改正する理由される日本国憲法が、そもそもは日本人の憲法学者、鈴木安蔵の草案に大きく影響を受け成り立っているのではないか、という投げかけがテーマである。

鈴木安蔵は戦中、政治犯として特高警察によって投獄された経験を持つ。昨今、世論が右傾化するなかで、現憲法の成り立ちを掘り起こそうというコンセプトで映画に仕立てた、全国の9条の会には頭が下がる思いです。


しかし、改憲反対派の問題点と同じ弱点が、この映画の出来栄えに凝縮しているように思う。伝えたいことが多すぎて、また各方面に配慮しすぎて、論点がバラけてしまっているのだ。誰に伝えたいのか、何を伝えたいか。いまいち刺さらない。

日本国憲法は世界に先駆けた平和憲法であり、戦争の放棄、男女の地位の平等など、その先進性には枚挙に暇がない。だから、戦後の天皇に対する処し方であるとか、自衛隊の存在に対する矛盾、アメリカがソ連を始めとする他の戦勝国に先駆けたいが為に成立を急いだという成り立ちなど、切り口といえば多岐に渡る。ひとつひとつ大切なことであるのは確かだけれど、そのすべてを映画の中で語ろうとすれば無理が出てくるのではないか。


もうひとつ、ドラマ仕立てになっているのも史実とフィクションが入り乱れて分かりにくさをよんでいる。派遣社員の女性記者がひょんなことから鈴木安蔵に関する取材をすることになるという筋立てだ。憲法に興味が無い視聴者には、このドラマ仕立てによってとっつきやすいつくりになっているのかと思いきや、絶望的に演出と脚本が寒く、面白くない。

逆に、ある程度の興味を持っている層には、このドラマ仕立てであることによって事実とフィクションの境目が曖昧になり、結果として情報量が少なくなり物足りない。この映画にとって鍵になるはずの、現憲法に日本人の声が織り込まれている証拠については、50年代に入ってからの自民党分科会の議事録に留まっており、あとは鈴木安蔵の草案とGHQの草案が似ているという以上の証拠を示せていない。


低予算で頑張って作られているのかと思いきや、役者やテーマソングの歌手には知名度の高い人が担当していたりするのも不思議だ。

いま、憲法が憲法としての機能を失うかもしれない危機的な状況で、重要な位置を占めるテーマであっただけに残念である。誰にでもお薦めできる映画とは言い難い。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月27日

こっぱ101

宮之浦こっぱ句会、その101回目。会のホストであるS氏宅では、毎月季節の生け花でもって出迎えてくれる。

今月は自家畑で種を目当てに大きく育てたというゴボウ。オナモミのように棘の先が鈎になっていて、服や髪にひっつく可愛いやつ。しかしゴボウの実なんて、初対面である。

01.jpg


成績については聞かないで頂きたい。ビギナーズラックは尽きました。

各賞の発表の後に訪れる、「この句はどんな意図で作ったの?」のコーナーが怖くなりつつある。何も考えていないから説明できないんです、はい。

だけれども、職業文人ではない集まりの中で、ガツンと格好いい句に出会ったときの感動はすごい。みんな仕事として手練てひねっているわけでないから、日々の暮らしのなかからストレートに創造されたが故の、生々しい感動があるのである。薔薇とか仁王像とか。

夜半まで昔の屋久島の話や、自分の居場所探しの話を伺う。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月26日

天気の早送り

カミさんが開けておいてくれた田んぼの堰を閉じに行く。先週、台風が来ていたので、塩害を心配して水の総入れ替えをしようという試み。

断続的に強風を伴って強い雨が降るが、気づくとやんでいる。下手すると青空が見える。油断するとまた強い雨。一週間分の天気の移り変わりを一時間で体験できる、早送りのような空模様である。


夕飯の支度をしていた折、水を入れずに米を炊き、鍋ごと焦がしてしまった。

救出した米は仕方がないのでオリーブオイルで炒めてパエリアに。しかし、これまた火加減が難しく、焦げてしまった。焦げているのに芯があるというキャンプのような飯だったが、カミさんは旨いと言って食ってくれた。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月25日

車の修理

車のワイパーを交換してみた。一本300円くらいのブレードを買ってきて、カチャっと外してパチンと付ける。これだけ。

車の修理というと命に関わる一大事のように考えていたが、所詮人間が作った機械。人間である私に直せないわけがないのである。先週も、漏電して不整脈のようになっていたプラグケーブルをビニールテープで巻いたらピタっと直ってしまった。あとはオイルとエレメントの交換だ。何でも自分でやるというのは気持がいい。

夏の車検で買い替えかと頭を悩ませていたのだけれど、まだまだイケそうだわ。あと走行100kmで15万キロである。


修理といえば、我が家のネット回線の調子が悪いので原因を探っていたところ、どうも回線にノイズが乗っていることが分かった。屋久島は殆どの場所はADSLなので、電話回線を使う。この電話のローゼットというものはとんでもなく貧弱な構造で、プラスチックの劣化でガタガタになっていた。

部品を取り寄せるのも面倒くさいので、まるごと配線をちょん切って、ハンダで直付にする。もしかしたら法律的にやってはいけないことなのかもしれないが、116職員の鼻声を聞いていたら付き合いきれなくなったのだ。

と、そこまでやってしまってから、どうもスプリッタの故障のような気がしてきた。スプリッタの小さな箱を開けてみたらこれは手に負えない、意外にみっちり回路が詰まっている。ついにお手上げ、amazonでスプリッタを注文。今回のkonozama自分なのでありました。

うむ、一勝一敗である。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月24日

土地

以前から気になっていた、売地という看板が出ている山を見に行く。

ちょうど良い沢がある山林ではあるのだけれど、上流がみかん畑であるのが気になる。見た目が重要な、高価なみかんを作る畑では、大量の農薬を使うからだ。無農薬に価値を見出す消費者が増え、有機で増益を果たす農家も多いが、農薬を使わなければ農協から爪弾きにされる。まだまだ異端者の扱いである。

そのままふらふらと散歩をしていたら、台風で荒れた庭の掃除をしているS氏に会った。彼はちょっと立ち話のちょっとが映画サイズになる愉快なお兄さんである。

いろいろと興味深い話を聞けたのだが、畑を手に入れる困難さはすごい。

基本的にこの国では畑の売買は出来ないのだが、農業委員会に所属すれば可能になるらしい。しかし、会員になるには3反以上の畑を持っていて、作付の実績が無いとダメだという。3反というと900坪だから、豪邸とかいうレベルじゃない大きさ。銀座だったら63,000,000,000円くらいする大きさ。また、実績とかいうのも、宝箱の鍵は宝箱の中、って状態だ。

S氏はバイタリティ溢れるタイプなので、あーすればこーすれば大丈夫、なんて言うけれど、面倒くさがりで怠け者な自分は農業委員会なんて保守的なオジさんたちと立ち回るなんて考えただけでも目眩がする。

ここのところ土地のことを考えているわけだけれど、土地なんて言うトイレットペーパーと等しい生活必需品に執着して利権にしがみつき、あわよくば金儲けをしようと企む人々には面倒くせえとしか言い様がない。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月23日

稲妻

ゴミ処分場で、まだ使える物品をリサイクル販売するという催しに行ってきた。

人気のある品は抽選だったりジャンケンだったりするのだけれど、おばさん連中の勢いが悪鬼のごとく凄まじさで、ぐったり疲れた。新品の綿布を何巻かと、竹の長い物差し、屋久杉の箱などの日用品をタダ同然で手に入れたのはいいけれど、あの邪悪な空間は精神衛生上よろしくない。


夕方、落雷のために停電した。強制的に静かな時間がやってくるので、停電は嫌いではない。

雷は稲妻とも言うわけだが、稲の穂に実、つまり種がつく季節が雷の季節とかぶるための、日本の詩的な世界観であろう。我が田んぼにも青い穂が見られるようになってきた。空と大地はつつがなく婚姻を済ませ、稲という子を授かる。

photo.jpg


そんな自然の営みを、大スペクタクルな性行為としてなぞらえるのは、インド世界っぽくもあるな。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月22日

ヒヨドリ

久しぶりに宮之浦の小父さんのところにお邪魔した。そこで昔は狩りをしていた小父さんが、友人から貰ったというヒヨドリをご馳走になる。

photo2.jpg


ヒヨドリの季節は冬なのであるが、時季に穫れたものを砂糖とお醤油に漬け込んでおいたものだそうだ。思っていたのより、小さい。下ごしらえは湯を沸かして温めながら羽をむしり、首を落として内蔵を出すのだそう。

オーブンで焼き上げられたヒヨドリは、癖のない柔らかい肉で、骨まで食べられる。脂がのって、下手したら鶏より旨い。うちの近所でも、鹿は食べ飽きたけれどヒヨドリは旨いと聞く。


ところで、小父さんとの飲み方の仕上げは毎度カラオケである。最近はヘンに気取ったポップスなど唄わずに、演歌で攻めるのが良いということに気づいた。王道はやはり王道なのである。

カミさんは演歌の良さは分からないと言うが、スポーツと同じで見てつまらなくてもやれば面白いということもある。自分としてはコブシを回しまくって笑いそうになっちゃうところが良いと思っている。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2013年06月21日

土地探し

とりあえず雨風をしのげるアパートは確保できているものの、やはり庭で畑がやりたいものである。朝の味噌汁に庭でとれたネギを散らして、なんて良いじゃないか。

しばらくそんな貸家を探していたが、屋久島にはそもそも他人に貸すために建てられた物件というものがほとんど無い。だから土地を買って自分で家を建てるしかないかな、なんて最近は考えている。

そんな折、地元の不動産屋が出物があると言うので、土地を見に行く。確かに島外向けにインターネットなどで出回る物件よりは安いけれど、どうもピンと来なかった。

都会で家探しをしようと思ったら、駅から何分かとか、その地域の相場はどうとか、そんなスペックが重要である。しかし、ここらではそういうのはあまり意味を成さないようだ。沢との位置関係や、複雑に切れ込む山と谷、季節ごとの風向き。原生林か元は畑か。似たような条件でも土地の相によって随分と雰囲気が変わってしまう。

電気と水道の確保や、建築基準を満たす公道との接していること、なんてのはもちろん重要であるけれど、その土地の磁場にときめきがあるかどうか、なんてファンタジーもまた必要なのである。

そうすると、不動産屋で扱うような造成された土地ですらなく、山を買って自分で木を伐るくらいのつもりがないといかんかな。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類
<< 2013年06月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
過去ログ