2012年07月31日

好きな匂い

・初夏の横浜港のヘドロの匂い。


・バンコクのドブと腐った果物の匂い。


・事務所の壁にこびりついたヤニの匂い。


・古いホテルのカビ臭いエアコン。


・夕暮れの宮之浦川が吹き降ろす山の匂い。


・インドの空港の焚火の匂い。


・冬のサービスエリアの排気ガスの匂い。


・ラーメン屋のカンスイ臭い湯気。


・ヒンドゥー寺院でお供えの牛乳が腐った匂い。
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月30日

創作に堕した報道

報道というものの本質が事実を伝えることだと言ってしまうと、あまりに子どもっぽいだろうか。

まあ確かに記者にも生活があるわけで、報酬を期待して記事を書くのは当然なのだろう。そして、より高い収益性を目指すことが現代の正義なのであるから、金を出す人の意に沿わない記事を書くのは、高度な構造になるほど、難しくなる。

まあそんなことは分かっているのだけれど、報道が創作の域にまで堕しているように感じる。人の話を聴き、事実を見極める気が端から無い。結論ありきで記事を書いてから裏付けをとる、もっと酷い場合には形だけ取材をしたという既成事実だけが欲しいかのように見える。


競争によって進歩するシステムを全否定するのはあまりに短絡的ではあるが、最近は高度になり過ぎて本来の目的を失っている事象が目につく。音楽だってそうだよな。
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月29日

栗生

栗生の浜に行ってきた。

2012-07-29 13.23.15.jpg

水が綺麗だよね。防波堤はちょいと風情に欠ける不細工さであるが。

久しぶり大川の河口にも足を伸ばす。ここは穴場。帰りは最近オープンした手作り靴のPon-Ponさんへ寄る。飄々としたご主人の語り口が楽しくてついつい長居。良心的な価格設定なので、お土産選びにもお勧めできそうだな。

5時の合図が鳴ったので慌てて店を出る。これから宮之浦までひとっ走り、句会に行くのだ。今月は「天」(金賞の意)を頂けるだろうか。
posted by abesin at 23:59| Comment(1) | 未分類

2012年07月28日

ブレーキ

ここから8Kmほど離れたところで「尾之間温泉まつり」をやっている。別に音も聞こえないし匂いもしないが。


観光地の端くれである屋久島は、夏の間は毎週末どこかで祭りをやっている。ぜんぶとまではいかないまでも、片っ端から見てやろうと目論んでいたのだけれど、ちょっと息切れしたので今日はお休み。

意気込みすぎるとバイアスというか、祭り補正がかかるので、音楽制作のインスピレーションを集める目的としてはフェアではないよな。


「屋久島発祥の文化は幸運なことにまだ無い」という、これまた極端な持論をお持ちのP氏のお陰で、そこまで極論しないまでも、あまり前のめりなのはどうかとハッとした次第。

慌てず焦らず、のんびり参ります。
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月27日

金曜18時

「屋久島えぇじゃないか」の初陣に参加してきた。
えぇじゃないかと歌い踊る、原発のない社会を選んだ、屋久島発のパフォーマンスである。






首相官邸前のデモでも、「もっと押せ」「穏健に融和を」などと各論、内輪でのあれこれありました。ここ屋久島でも諸先輩方、思うところがおありのようで、色々な意見ご指導を頂きましたよ。

助言はありがたく頂戴するとして、カンパも貰えたらもっとありがたい笑
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月26日

メディア病

メディア病とでもいおうか。

テレビ、出版物、インターネットなど、マクロなメディアでは一万人に一人の優秀な才能と出会うことが容易だ。そのために自分の中で面白さの基準が書き換えられ、ハードルを上げる一方である。

しかし肉体が欲する刺激は、近所のお調子者のちょっとおかしな体験談といったような、皮膚感覚に近いものである気がする。

日に日に、その乖離がひどくなる。
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月25日

小さいの

なんだか小さいのに懐かれて困っている。

2012-07-24 00.07.29.jpg
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月24日

原発反対ならエアコン使うなよ

原子力発電所が必要ない理由として、その危険性はもちろんのことなんだけれど、それ以外の、例えば経済的な暗黒面も気になるところである。

その辺り、屁理屈合戦になるとあちらさんは最強の布陣なので、面倒くさいから土俵に上がりたくはないのも正直なところ。しかし今だに「原発反対ならエアコン使うなよ」なんて言う情弱がいらっしゃる。


そんな御仁のために、ソウルフラワーユニオンさんが小出教授のデータをまとめた資料が分かりやすかったのでシェアしておく。

「原発なくても電気は足りる」
http://twileshare.com/uploads/A4.pdf 
 
 
まあ、言われなくてもエアコンは使ってないし、原子力による電気は移住によって卒業したけどな。
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月23日

ハラハラする人生

H社製の近い型番のハードディスクがほぼ同時に不調になった。あんまり酷使してなかったのに何でだろ。裸族の頭が怪しくなくもないのだけれど、このメーカーのは暫く買わないだろな。

WDは工場がもろに洪水のあったタイにあるはずなのに、価格が落ち着いてきたな。ハードディスクにハラハラする人生をあと何年続ければいいのか、誰か教えろください。

 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類

2012年07月22日

ウルグアイ大統領のスピーチ

ウルグアイのムヒカ大統領が、2012年7月22日のリオ会議でスピーチした内容が素晴らしかった。参照元記事のhttp://hana.bi/がアクセスしづらくなっているので、ここにメモしておく。

その内容が興味深いのは確かであるが、それ以上に大統領という利害関係が複雑に絡み合う立場にありながら、この発言が出来ることに驚きである。
 
 
 
ウルグアイ ムヒカ大統領 リオ会議 2012年7月22日 (訳:打村明)
-----------------------
 
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。
 
-----------------------
 
 
 
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | 未分類
<< 2012年07月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
過去ログ