2012年06月30日

唐芋

唐芋を植えてきた。
 
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唐芋とは薩摩芋のことである。ここ鹿児島でわざわざ薩摩芋と呼ばないのは、東京で江戸前寿司といわないのと一緒だ。

唐芋は別の畑で育てた種木の枝を、畝に挿し木して植える。そんなことで根が生え芋ができるとはたいした生命力である。気候に合ってるのかもしれない。屋久島は里芋や山芋も含めてとにかく沢山の種類の芋がとれる。芋の島である。
 
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その土地に合っているということは育てるのもラクだし、その場所で生きるために必要な栄養素を含んでいるわけだから旨く感じるのは当たり前のことである。
 
自然の循環に逆らわないというだけで、楽して旨いものが食えるのだ。
 
 
 
今夜は宮之浦の文化人が集う俳句の会にお邪魔して、深夜は故郷の仲間たちのイベント「横濱ジャズ研」にUstreamで参戦する予定。なかなか忙しい週末だなや。島へ来てからというもの、時間の流れがゆっくりしているもんだから、一日に予定が二つ以上入っていると忙しいと感じる。
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2012年06月29日

デモ

毎週金曜の夜に首相官邸前で行われていた原発に対する抗議行動。今夜は過去最高の参加者だったという。その人数はカウントする者の立場によって変わるが、10万人とも20万人とも言われている。
 
 
この集まりで感心するのは、シングル・イシューであることに主眼をおき、ここまで育ててきたことだ。

原発推進派の考え方と違って、反原発派は一枚岩ではない。放射性物質の危険性を問う人、福島の復興を考える人、利権構造に怒る人、左翼、右翼。熱の入り方も様々である。反原発派の弱みは主張が多数に分散して、ひとつの大きな力になりにくいところだ。
 
 
自分の考えとしては、原発のようなものを蔓延らせてしまった原因、この社会の構造に根本的な問題があって、そこが変わらなければ仮に原発がなくなったとしても対症療法にしかならず、第二、第三の「原発的なもの」が生まれる。

過去の薬害エイズや水俣病などをみれば分かるとおり、病巣そのものを取り除かない限り、同じことの繰り返しなのである。
 
 
 
しかし、それを語り始めるとイデオロギー的な話にまで行き着いてしまい、興味を持ち同意する人数は極端に少なくなる。忙しく暮らしている会社勤めの方々は階級闘争の話など実感を持てないことだろう。更には60年台の記憶に由来する、日本人特有の拒否反応だってある。
 
 
そういう状況で初めの一歩を踏み出す手段としては、原発の存在に焦点を絞って打ち出すことは最善であり、枝分かれする直前のポイントを「みなさんこの辺でどうでしょうね」と指し示すことは、誰かがしなければならなかったことだ。
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2012年06月28日

雨が悪いかどうか

午後になって雲が割れ、陽がさしてきた。一週間ぶりの太陽である。

屋久島は周知の通、り雨の多い島なので湿気っぽい。洗濯物は乾きにくい。だから正直に申し上げて、臭い人もいる。長い年月の中で慣れてしまったのか諦めてしまったのか。しかし、こうも降り続くと我が家もそんな臭いが漂うようになった。あちこちから。

だから久しぶりの太陽はことのほか嬉しい。こんなにお天道様の有難味を感じたのは初めてのことである。


と言いつつも、雨が悪いという風潮はいかがなものか。雨のことを悪と表現する人は少数かもしれないが、天気が悪いだとか、崩れると表すのは一般的である。

先日、風呂に入っていたときのこと。飽きずに降りやがって雨の野郎めなんてブツブツ呟きながら、ふと気づけばジャージャー使っているこの水はもとは雨じゃないか。

で、反省したわけである。
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2012年06月27日

脳のクラスタ

人間の記憶は、どんな秩序で脳に収納されているのだろうか。脳科学とかいう先生は胡散臭くて好きじゃないのだけれど、実際問題として。

コンピュータだったら五十音順、AtoZ、時系列、なんでもござれである。と思いきや、あれは見せ方を並べ替えるのが得意なだけで、実際には非直線的に、その時に空いていたところから順に収納されている。

人間の脳も、もしかしたら似たような記録のされ方をしてるんじゃないかと思う。スイカといったら夏、というような秩序だった連想もあるけれど、それはそもそもセットで一つの情報なのであって、まったく関連性のない連想こそが本来の脳の模様に近い気がする。


最近、洗濯をしていると、インドのコーチンを思い出す。チャイニーズフィッシングネットで有名な港町である。コーチンに特別な洗濯の思い出がある訳ではない。洗濯はいつでもどこでもするものだしね。

他にも説明のつかないシチュエーションで脳裏に浮かぶ例は沢山あるのだけれど、どうもランダムに、何でも良いわけではないようだ。理由は分からないが、その組み合わせに説得力があるのは、脳の格納場所が隣り合っているからなんではないかと踏んでいる。




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コーチンのチャイニーズフィッシングネット。
 
 
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2012年06月26日

雑記

この生活のかたちになって10年以上経つし、そろそろ変化をつけてみようかなと、何となく東南アジア〜インドへ旅に出た。そして旅先で2011年の3月11日を迎え、その「何となく」は「変化せざるを得ない」に変わった。

当時は神奈川県に住んでいた。同じ場所で、同じように暮らすことは物理的に不可能ではなかった。だが、あの世界中が注目した原発事故の後では、原子炉を生み、必要とした社会に以前と同じスタンスで関わることはできないと思った。(断っておくけど、電力供給のために原発が必要だった事実はない。金儲けの道具として必要性を主張する人間が出てくるような社会、という意味だ。)



当時は首都東京のど真ん中に引っ越すことも考えた。

情報と、状況が一極集中する場所で。今まではちょっとばかり勘違いしてきたけれど、人間がハッピーであることは、たくさん稼いでたくさん使うってこととは関係がないんじゃないかと、問うてまわろうかと考えたのだ。

だけど以前の自分を知っている人たちに囲まれて暮らせば、甘えも出てくるだろう。新しい気づきが元の忙しさの中に流されてしまうこともあるだろう。現時点では語るに値いするリアルな体験も不足している。そこで屋久島という新しい土地で、証明してみようと考えたのである。理想を語ってまわるのではなくて、実践してみせよう、と。

今は、その途中。



まあ、難しく考えればいくらでも掘っていけるのだけれど、要するに自分が本当の意味で機嫌よく暮らせ、借り物じゃなく自前の信念を醸成するためには何が必要で、何が必要ではないかってことなんだよね。

人工物に囲まれた都会ではノイズが多すぎる。だから島に来たというとノイズから逃げてきたという言い方が出来てしまうけれど、放射能や高度なマーケティングによる広告のような、人工的に作られた毒はちょっとやそっとでどうにかなる類いのものではない。

たくさん稼ぎたくさん使うことが正義とされる社会からもまた、距離を置く必要がある。その仕組みは高度に巧妙すぎて、稼げば稼ぐほど、使えば使うほどにピンはねされ、原発や基地や農薬開発や砂浜を消滅させるコンクリートその他諸々に使われることは避けられないからだ。



ただひとつ気に留めておかねばならないのは、この社会から距離を置くことは可能でも、人間の群れという意味での社会性から逃れることはできない。ナチュラリストと評される生き方は、その精神性の部分を都合よく解釈すれば社会性から逃避する口実にするることも出来てしまう。もとは高い精神性と哲学を持っていたはずのヒッピー・ムーブメントが、快楽主義的なところだけをクローズアップされて骨抜きになったようなことが起こるのである。現在の社会を否定することと、社会性を捨てることは別のことなのだ。また、あからさまな宗教の体をしていないから不安定な気持ちの拠り所として寄りかかるには、あやふやな部分が多くて都合が良い。


だからソフトウェアとしての現代社会には辟易しているが、ハードウェアとしての、人間の大群を支える都会を否定するわけではない。ちょっと夢想的過ぎるかもしれないけれど、仮に将来、理想的な世界が実現されたなら、また都会に住んでもいいと思っている。その呼称が都会であるかどうか分からないけれど。
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2012年06月25日

火吹き竹

火吹き竹っていう古い道具がある。

これは火に近づいたら熱いから、遠くから吹けるためにあるんだと思っていたらそうじゃないんだね。細いところに息を吹き込むことによって、風に勢いがつくことが肝心なのだ。

窯に火を起こすときも、窯の入り口がガバっと開いていた方がたくさん空気が入って燃えやすいように考える。けど、実は入り口を小さくした方が、火が酸素を吸い込むことによってできる空気の流れに勢いがついて、よく燃えるのだ。窯に空気の出口(煙突)が付いている必要があるけれど。

古くからある道具には、その形をしている理由があるのだな。
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2012年06月24日

クリーンサポートセンター

宮之浦の叔父宅に泊めてもらい飲ませて頂いた。しかし朝まで飲むぞと誘ってくれたのに途中で寝てしまって、申し訳ない気持ちです。屋久島に来て以来、何故かあんまり量を飲めなくなってしまったんだよね。

クルマ社会の屋久島では、遠い集落の友人と飲むぞとなったら、それは泊まりがけを意味する。都会と比べて家も広く、人を泊めやすい構造になっていることが多い。



明けて今日はそのままクリーンサポートセンターという、要するに廃棄物処理場なんだけど、そこで出たゴミの中でまだ使えそうなものをリサイクルして安価で販売するというイベントに行ってきた。予想通りすごい人出で、会場は新宿駅のように混雑していた。

人気のある品は抽選かジャンケンなんだが、山の手生まれの私はどうも浅ましく思えてしまい、ノリきれない。オバちゃんたちがホクホク顔で戦利品をクルマに積み込んで行くのを、指をくわえて見ているしかないのです。

とは言え、こういうノリを楽しめる浅ましいうちのカミさんが、買ったら数千円はする山グワを100円で勝ち取ってきたので、来た甲斐が無かったわけではない。しくしく。
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2012年06月23日

戦没者慰霊の日

明日は沖縄の戦没者追悼式である。

10日ほど前、事故だらけのオスプレイがフロリダでまた事故を起こした。その普天間基地への配備が問沙汰されている中での慰霊の日。ここ屋久島から30Kmほどのところにある馬毛島への米軍基地移転の話も進みつつあるようだけれど、もうね、配備するしないとか、移転とか、そんなレベルじゃなく、世界から基地を無くすことをイメージせねばならぬ。

それは夢想かと思われるほど険しい道程であろう。しかし世界の基地を無くすことこそ人類の最終目標であり、それをコンセンサスとするべきだ。いつかは廃絶したいけれど今は××だから無理と、先延ばし主張する人々は、本当にいつかは基地を無くしたいと考えているのだろうか。その基地ありきでしか発想できない貧困なイマジネーションの人間が、未来を語る資格などない。

そういえば原発推進の議員さんも、脱原発はしたいけれど30年後にね、なんて、そういう言い方をするよな。あんたそれまで生きてんのかい?少なくとも任期は切れているだろう。


基地とは即ち暴力である。外交とか安保とか軍事バランスとかあれこれ言い方を変えようとも、暴力であることに違いはないのだ。

原発の賛否についても同じ事が言えるけれど、命の重さに対して、経済や安全保障など比べるべくもないのだ。いつまで殴られたら殴り返すなどと、小さなの男の子のような発想を続けるつもりなのか、ね。



追記:
タカ派の皆さんは専守防衛のことを「殴られたらよけて」何故いかんのかと表現なさるが、ミサイルをミサイルで撃ち落としたら、拳に拳で応戦したのと変わらないのでありまして、そういう詭弁、人を欺くような言い方もやめて頂きたい。そして有権者はそれに騙されないで下さい。
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2012年06月22日

夏至

屋久島は梅雨の真っ只中。天気予報は見る必要がないほどに毎日、雨マークである。昨日は夏至だったけど、映画夏至のような湿っぽさであった。

ところが今日はモッチョム岳がくっきり見える快晴。今朝早くに友人Hちゃんの子が産まれたと聞いたが、彼女を迎えるために門が開いたかのようです。おめでとうね。
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2012年06月21日

おじゃんせ、尾之間音頭

尾之間で民謡の話をしていたら、こんなのもあるよと貸してもらった、その名も「尾之間音頭」。

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ライナーに「平成16年度むらづくり活性化事業」と記載があり、作曲は岩川澄猛氏、作詞は三界稔氏だそうだ。最近つくられた曲のようである。

ところで、作曲者の詳細が分かるくらいに近代の「民謡のような」作品は、多くが演歌になってしまっている。歌詞に地元の言葉が入っていても、作者がいかにも首都の方角を意識していて、厳密には民謡とは言い難い。

タイの音楽で言うなれば、モーラムとルクトゥンの違いということになる。その違いは、もちろん音楽スタイルの違いと分析してしまえばそれまでなんだけれど、軸足がどこにあって、どっちの方角を見ているかの違いが重要な気がする。


しかしこの尾之間音頭は、むらづくり活性化事業と銘打っているだけあって、地元のアーティストが地元向けに作っている感じがして良い。伴奏は制約のある中で出来る限りやりましたっていう匂いがするが、節回しや歌詞が屋久島の音楽らしい雰囲気を醸しだしている。音楽の地産地消だよね。これから夏にかけて、祭りやなんかのイベントで聞けることを楽しみにしている。

このCDにはタイトルトラックの他に、祝い申そう〜で始まる正月7日に唄われている祝い福祭文(クサイモン)や、棒踊り唄など、尾之間地区で重要な曲が収録されている。

ちなみにジャケットは地元の人たちが協力して建築した尾之間温泉の建物。多いときには50人ほども集まったということです。
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