この生活のかたちになって10年以上経つし、そろそろ変化をつけてみようかなと、何となく東南アジア〜インドへ旅に出た。そして旅先で2011年の3月11日を迎え、その「何となく」は「変化せざるを得ない」に変わった。
当時は神奈川県に住んでいた。同じ場所で、同じように暮らすことは物理的に不可能ではなかった。だが、あの世界中が注目した原発事故の後では、原子炉を生み、必要とした社会に以前と同じスタンスで関わることはできないと思った。(断っておくけど、電力供給のために原発が必要だった事実はない。金儲けの道具として必要性を主張する人間が出てくるような社会、という意味だ。)
当時は首都東京のど真ん中に引っ越すことも考えた。
情報と、状況が一極集中する場所で。今まではちょっとばかり勘違いしてきたけれど、人間がハッピーであることは、たくさん稼いでたくさん使うってこととは関係がないんじゃないかと、問うてまわろうかと考えたのだ。
だけど以前の自分を知っている人たちに囲まれて暮らせば、甘えも出てくるだろう。新しい気づきが元の忙しさの中に流されてしまうこともあるだろう。現時点では語るに値いするリアルな体験も不足している。そこで屋久島という新しい土地で、証明してみようと考えたのである。理想を語ってまわるのではなくて、実践してみせよう、と。
今は、その途中。
まあ、難しく考えればいくらでも掘っていけるのだけれど、要するに自分が本当の意味で機嫌よく暮らせ、借り物じゃなく自前の信念を醸成するためには何が必要で、何が必要ではないかってことなんだよね。
人工物に囲まれた都会ではノイズが多すぎる。だから島に来たというとノイズから逃げてきたという言い方が出来てしまうけれど、放射能や高度なマーケティングによる広告のような、人工的に作られた毒はちょっとやそっとでどうにかなる類いのものではない。
たくさん稼ぎたくさん使うことが正義とされる社会からもまた、距離を置く必要がある。その仕組みは高度に巧妙すぎて、稼げば稼ぐほど、使えば使うほどにピンはねされ、原発や基地や農薬開発や砂浜を消滅させるコンクリートその他諸々に使われることは避けられないからだ。
ただひとつ気に留めておかねばならないのは、この社会から距離を置くことは可能でも、人間の群れという意味での社会性から逃れることはできない。ナチュラリストと評される生き方は、その精神性の部分を都合よく解釈すれば社会性から逃避する口実にするることも出来てしまう。もとは高い精神性と哲学を持っていたはずのヒッピー・ムーブメントが、快楽主義的なところだけをクローズアップされて骨抜きになったようなことが起こるのである。現在の社会を否定することと、社会性を捨てることは別のことなのだ。また、あからさまな宗教の体をしていないから不安定な気持ちの拠り所として寄りかかるには、あやふやな部分が多くて都合が良い。
だからソフトウェアとしての現代社会には辟易しているが、ハードウェアとしての、人間の大群を支える都会を否定するわけではない。ちょっと夢想的過ぎるかもしれないけれど、仮に将来、理想的な世界が実現されたなら、また都会に住んでもいいと思っている。その呼称が都会であるかどうか分からないけれど。
posted by abesin at 23:59|
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