2012年02月17日

生活といういいわけは首に縄

先般のシンポジウムで、某紙の記者の方とお話する機会があった。

そこで話が出たのだが、屋久島の土木作業に従事する島の人たちは、その自然破壊になっているかもしれない作業に後ろめたさを感じるも、生活のためにやむを得ないと心を悩ませている、と。

これは、実情を知らぬ都会ものが言うには大変に勇気を要するのだが、生活の為に仕方なく、という言い訳はもうやめた方がよい。

箱もの行政の犠牲となっている地方の土木工事だけではない。原発関連施設や、公害を発している工場のお膝元では、本人が勤めていなくても友人や親戚に何らかの繋がりがあって、悪く言えないという話はよく聞く。

雇用という綱をつけ、飼われているような状況はまったくもってフェアではない。

その原因を作ってきたひとつの要因は、効率のために大都市圏に雇用が集中するこの状況だ。

世界中で効率のみを追求した経済システムが破綻するなか、効率重視の都市集中型のフローは前時代的といえる。


では村興しなどとみみっちいレベルではなく、地方に血が巡るようにならないものか。

音楽の世界ではライブの復権と、ネット媒体による発信が広がったことにより、皆が揃って東京の方角を向いている一方通行のシーンではなくなった。ひょっとしたら、この辺りに糸口があるかもしれないね。
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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