2011年10月31日

冷蔵庫はないけれど

ラジオ収録終了。

今月のS女史は、アーユルヴェーダの先生をよんでインタビューする企画。

スリランカの奥方は毎食ごと買い物にでかけ、地元の旬の食材を料理する。冷蔵庫のない家庭も多いけど、いつも新鮮なメニューが食卓に並ぶ、って話が興味深い。

FMうらやす「スリランカの風」
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2011年10月30日

さよなら青いなみ

Motion Blueでbohemian voodooとJiLL-Decoy associationのライブイベント。横濱ジャズ研はラウンジでDJしてきた。

セッティング中
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ボヘはライブの度に新しい試みを仕掛けてくる。シンセサイザーの音作りとかギターの新しい奏法とか。しかもそれが既存曲の世界観を壊していないのが流石だね。

ジルデコは初めてちゃんとライブを聞いたけど、がっつり上手かった。大暴れのドラムは曲の頭と終わりでセットの形が変わってしまってた。マジ基地ですねわかります(良い意味で。)

在濱DJとしてプレイするのはひとまずこれが最後だったので、あれこれ考えたんだが、結局いつも通りやった。評判は上々。


はねた後はジャズ研の部長K氏と野毛のアポロで深夜まで飲む。これからはこんなオサレなバァで飲むのも暫くないかなと思うと少しさみしい。
posted by abesin at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年10月29日

や、明日だった

今夜はDJだと思って支度してたら明日だった。

明後日の件なんですが、って打ち合わせの電話くれたS女史ありがとう。危うくのこのこ出かけて行くとこだったわ。

明日はMotion Blueでbohemian voodooとジルデコのライブイベント。横濱ジャズ研はラウンジで。前売りありんす、メールくりゃれ。
posted by abesin at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年10月28日

人でなし

某氏から、あいつが最近どうも振るわないと言ってるから連絡してやってくれ、と電話がきた。(実際のニュアンスはもう少し複雑だけど。)

そう言われて、無い知恵を絞ってみたけれど、どうにも力になれそうにない。オレはオレが得意なことを出来ない人の気持ちが分からないのだ。

何かが出来るかどうかなんて関係なく声をかけてあげるのが友達甲斐だというなら、わっちは人でなしである。
posted by abesin at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年10月27日

倉庫をば、片付け

カミさんが免許の合宿に出かけた。しばらく一人暮らし。

実家のキャバリアが死んでしまったので葬式に行く。もともと寿命が短い犬種らしいが、人間の我儘のために品質改良されて身体が弱いとは、気の毒なことである。


実家に行ったついでに、機材倉庫を片付ける。懐かしいものが色々出てきた。


Logic4.6は当時15万くらいしてたな。es1、exs、evp、みんな別売りで、貢いでました。

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いまはなきVision。使ってたグレードはMIDIだけだった。みんなHDRを併用してた時代。その前のADATを3台カスケードしてた時代はオラ知らね。

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レコードを400枚近くユニオンに持って行き、TEACミキサーのコレクションをマエストロのところへ寄贈してきたらもう、腰が痛い。S氏付き合ってくれてありがとう。
posted by abesin at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年10月26日

良い子の諸君!

      r ‐、
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
    (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)  『若い頃の苦労は買ってでもしろ』
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' |  という言葉があるが、
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |
   |  irー-、 ー ,} |    /     i   その言葉を作ったのは売る側の人間だ
   | /   `X´ ヽ    /   入  |
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2011年10月25日

足の裏から地面からみずを吸う

農作物の関税が撤廃されても、国内の農業の大規模化、生産性の向上を図り、国際競争力をつければよいという人がいる。

しかし、遺伝子組み換えや農薬によるコストダウン合戦に参加するというのはいかがなものか。

インドの安宿で出会った、農家として独立を目指す某氏は、研鑽のために出向いたという北海道の大規模農園を見、とても食い物を作っているとは思えない光景、と評した。

そもそも、飛行機で農薬を撒くような国に対抗できる、広大な土地が日本のどこにある?


ところで、猫は魚が好きだが、猫の健康にはよくない。自然界で猫が魚を獲ることは出来ないから、魚を食べる身体に出来ていないそうだ。

人間も動物であるから、遠い異国の食べ物よりも、同じ空気を吸い、同じ気候で育ち、同じ水を飲んだ食物を食べるのが自然なのではないか。
posted by abesin at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年10月24日

食えれば死なない生きてりゃ食える

TPPを支持している人の気がしれない。

健康で、文明よりも文化的な社会を望む、生活者としての視点を持っていれば、食糧に責任を持ってくれる人が身近であった方が良いのは自明の理である。

ラオスでは、タイから波及した経済危機の際に大混乱にならなかったのは、食糧自給率の高さからだと言われている。金に困っても食べ物で困ることはないだろう、と考えられることは、人間の最も基本的な拠り所になるだろう。

この社会において、あらゆる人為的な現象は金で説明ができる。危険だと分かった原発が廃止に向かわないのは、儲かる人間がいるからだ。

しかし、災害や戦争などで一歩その枠組みを外れたとき、金で解決できない事態に直面する。汚染された東日本の土壌は金で買い戻せないではないか。

TPPで地場の農業が滅びれば、それもまた買い戻すことは出来ないだろう。
posted by abesin at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年10月23日

原発は借金と似ている

原発は借金みたいなものです。
それも、いつ返せって言われるか分からない借金。

東電がこれまで原発で得た営業利益は、4兆円以上あったようですが、先の地震への対応でぜんぶ無くなりました。無くなったというより、借りていたお金を返した、といった方がしっくりきます。

これまでの僕らのライフスタイルを人間に例えると、月収18万の若者が借金をして外車に乗り、代官山に住み、毎晩外食をしていたかのようです。

それが今年の三月に突然、借金を返さなくてはならなくなりました。

突然と言っても、その日はいつか来ますよ、と契約書には書いてありました。火山列島日本では大地震がいつどこで起きてもおかしくないことを皆、知っていたのです。

さてそこでどうしたものか。



更に借金をすればよい、と言う意見があります。さすれば、いまのマハラジャのような生活を維持できると。復興や景気の回復ということばに表される場合も見受けられます。

そういう意見を持った人々は、移動手段といったら外車、住居と言ったらタワーマンション、夕飯はビストロや夜景の綺麗なバーでしか食べられないと考えているのでしょうか。

それはまったく、想像力に欠けることです。僕らは陸が続く限りどこへでも二本の足で歩いて行けますし、自らの手で食事を作ることも出来るのです。

借りたお金を返さなくてはならなくなる日はまた来ます。そのとき更に膨れ上がった利子を子や孫に肩代わりしてもらうとしたら、それは果たしてどうでしょう。


景気は回復しなくて結構。

失業率は下がらなくて結構。

GNPが下がっても何も困りません。

国防、軍事力にかける資金が無くなっても結構。力で攻められて力で応えるなど恥ずかしいことです。

円に力が無くなっても結構。輸入が不利となれば国内の農家にとっては追い風です。



毎朝、首から借用書をぶら下げて満員電車に乗るなど、誰に褒めてもらいたいのでしょうか。
posted by abesin at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年10月22日

骨になる北伝、ならない南導

義祖母の墓参に行ってきた。義父が、まだ赤ん坊の甥にひいばあちゃんだよと言っていて、はっとなる。...そうだよな。



これは聞き齧りだからメモね。

上座部仏教で火葬して遺骨を葬るのは解脱した僧のみに許されるという。俗人は死の瞬間に次の生へ輪廻するからだ。

上座部仏教のタイでは日本で見かけるような墓はなかったが、遺骨を祀る習慣のある中国系の儒教の影響からか、寺の境内にある火葬場から遺灰の一部を持ち帰り、仏塔や仏像に納めることもある。寺院の柱や壁に故人の遺影が飾られていることがあるが、そこにも遺灰の一部が安置されているのかな。

更にインドに近いビルマやスリランカでは、よりオリジナルに近い形をとっているのだろうか。面白い。

それに引き換え、日本の大乗仏教は釈迦の説いた仏教から大分紆余曲折しているようだ。日本での開祖が独自に解釈を加え、流派が分かれていったことも一因。また、伝わる言語による部分もあったようだ。

サンスクリット語は一部のインテリだけが解する特別な言語だったため、経典の伝わる段階で改変が加わることも多かった。しかし釈迦と弟子たちが日常会話に使ったパーリ語は口伝えで大勢に広まったため、より原素に近い形で伝わったという。

仏教が広まる際に、土着の宗教と融合していった部分もあるのでは、という意見も聞いた。確かにそれもインド各地の寺で目のあたりにした光景だった。

結論?
ないよこんな難しい話。
posted by abesin at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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