2011年09月05日

余暇の余とか仕事の仕とか

寝る間を惜しんで仕事をこなし、寝る間を惜しんで豪奢な暇を捻り潰して燃やしてしまうくらいなら、小さな日々の肌に触れる生活に揺蕩う方が創造的だと思うんです。

しかし、調教された時間の概念の中ではそれに気づくことは難しいので、効率とか他の何かに埋没しがちです。騙されているのです。

何の為にいま焦れたような心持ちでいるのか、考えれば誰のためにもならないということに必ず思い至るはずです。


今日はカミさんが鮭を焼きました。ブロッコリを茹でました。

鮭はチリやノルウェーの養殖ものは安全性に疑念を持ちましたのでアラスカの天然のやつです。養殖ものは見栄えがするように餌で身に着色していますから、比べると見劣りしますが、それが自然なのです。

野菜のツマは出汁をとった鰹節と鯖節、マヨネーズに麻薬を和えたものです。こういう猫の餌みたいなドロりとしたゲル状のタレが彼女は得意なのです。

ところでタレと被タレの区別は必要でしょうか。仕事と余暇の区別も、遠く離れれば良いことはありません。生き物はそういう風には出来ていないのです。

食後は軽やかに私が鍋を洗います。
posted by abesin at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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