2011年09月30日

実現する方法を考える

国民と政治との間で、いちばん考え方に隔たりがあるのは、◯◯を実現する為の方法を模索して欲しいオレらに対し、彼らは××が出来ない理由を列挙していく点である。

市民運動などをみれば、△△に反対、といったスローガンとなることが多いので、逆であるかのように思われる向きもあろうが、それは経済活動の保護にしか治世のベクトルが向いていないからであって、要するに市井のニーズが伝わっていない。また生活者の要望を積極的に口に出すのは憚るのが美徳、と考えてる一団も存在する。


NHKの首都圏スペシャルを観ていたら、横浜市の小学校の学校給食の放射性物質への安全対策は、300校以上ある中で一日一校の測定が、今だに検討している段階とのことであった。ここでも口を開けば測定機が足りない、費用の問題がと、出来ない理由をいう。

それほど大規模でもない民間の企業でも300〜500万円のコストをかけて検査機を導入するところが出てきている。市政でも出来ない理由を列挙する暇に、導入実現する方法を考えてもらいたいものである。


実現する方法を考えるよりも、出来ない理由を考える方が簡単だ。であるから、口に出した場合も、出来ない理由を並べ立てた方が現実味を演出できる。

実現する方法は多くが簡単なことではないから、穴だらけの夢想に聞こえることもあろうが、いま必要なのは不幸な現実を変えていく新しいアイデアなのだ。穴だらけなのは目を瞑っても先に進まなければならない。

前述のような、経済活動を保護することばかりに目が向いた穴の開けられ方じゃ意味ないんだけどね。
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2011年09月29日

ポップミュージックガラパゴス

いま月に一度、FMうらやすのスリランカに関する情報番組の制作をお手伝いしている。

そこでかかる音楽は、スリランカ人のラジオDJにセレクトしてもらったりしているのだが、それを聴くところによると、かの地でも若者が聞いている音楽には欧米のヒップホップやダンスホールからの影響が大きいようだ。

逗子海岸でブラジル国旗を掲げる海の家ピレキーニョでも、ブラジル人はジョビンなど聞いていなかった。若者はもっとガッツのあるサウンドを好む。

こういうダンスミュージックとしての実用性を含んだクラブチューンは、日本では一部のクラバーに支持されるに留まるのだが、スリランカではどうなのかと、スリランカ人DJの彼に聞けば、僕が持ってきた曲はみんな若者なら歌えるくらいに有名な曲ばかりだよ、とのこと。

日本のチャートはいまAKBとジャニーズに占められているが、その差を考えれと、まあ日本ってガラパゴスよね。

最近、ガラパゴスって悪い意味で使われることが多いけど、独自の進化を守ったという点で悪いことばかりではない。

もし日本のチャートに寂しいところがあるとしたら、他人に関わらずに個人の楽しみを消費できるように特化しすぎたよな、ってとこかしら。それは時間的、精神的余裕がないなかで発生したニーズに応えた所以だし、オレも恩恵にあずかっているんだけどね。
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2011年09月28日

真の被災地応援とは

東北産の野菜は買わないようにしている。

新米の季節だが、今年は九州産の米に人気が集まり、東北産は例年の三割ほどに売り上げが落ちているという。

食品の放射性物質の含有を気にする人たちはヒステリックで神経質であるように言われる場合がある。しかし、そういう人たちの中には被災地を応援したいという気持ちを同時に持っている人が少なくないように思う。

しかし被災地への応援と、自分や家族の健康を天秤にかければ、それは人の子というものである。

だが、皆が皆、測定値がゼロであること望んでいるわけではない。

福島第一の原発事故が起きてしまった今、多少の毒を食う覚悟くらいはあるのだ。二桁ベクレルの検出なら、子どものいない30代のオレなら寧ろ買うだろう。子どもや、病気でX線関係の検査を多くする人は避けたいところだが。

ところがそういった表示を今だにしないのは、国が暫定基準をオーバーした場合の補償をしたくないがためではないか。

被災地を応援し、東北産の農作物や漁獲の売り上げを上げたいと真に考えるなら、放射性物質の含有量を数値で表示するのが早道であるのは明白であろう。

補償のことが気がかりで表示しないのだとしたら、被災地の応援を阻んでいるのは誰か。風評被害という責任転嫁は科学的に安全値、危険値を示してから使ってもらいたい。
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2011年09月27日

余計なお世話

バルセロナでは動物愛護の観点から、闘牛が600年の歴史に幕を降ろしたとのこと。

葉っぱとか虹炉とかネカフェの個室規制なんかもそうだが、他人が嬉しそうに楽しんでる無害なものを規制だなんだと、お節介が過ぎる。

決まりごとが多ければ多いだけ進んだ文明だと考えているなら違うだろ。むしろ野蛮だよ。
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2011年09月26日

みなし、お金に騙される

この現代に於いて貨幣とは、遣えば遣うほど何かに屈しているということなのだ。

ポジティブじゃなきゃいかんとは、誰が決めたのかしらね。
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2011年09月25日

メールス•ジャズフェス、スクリーニング三日目

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今日は横浜黄金町の似て非ワークス、メールス•ジャズフェスティバルの上映会三日目。

今夜はドクトル梅津バンド、アート•アンサンブル•オブ•シカゴ、アート•リンゼイら出演の84年の映像。

撮影された副島さんによると、60年代ウッドストックから連綿と続くヒッピーが最先端の空間をもとめて80年代のメールスにやってきていた、そうな。

毒抜きされてない、安全でないフェスティバル。

市が主催ながら、市警にはアレとかソレは大目にみるように、とお達しがでていたらしい。
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2011年09月24日

メールス•ジャズフェス、スクリーニング二日目

昨日から引き続き、黄金町は似て非ワークスにてメールス•ジャズフェスティバルのスクリーニングイベント、二日目。

8ミリで撮影された当時の高揚を、8ミリ映写機で観る。


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今のハイビジョンとは比べられないほどアナログな訛った画と音だけど、逆にそれがダイレクトに伝播するね。


昨日の81年はオーネット•コールマン、井上敬三、坂田明らの出演だった。

そのパフォーマンスから、時代に欠乏していたであろう、黒人音楽としての洗練に対する破壊衝動というか、自由を求めるあまり自由を失ったことへの憤りが渇望がとなって画面からありありと伝わる。


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今日は83年の映像。

ジョン•ゾーン、アート•リンゼイ、ビル•ラズウェル、ドン•チェリー。ううむ、鼻血も出ない。
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2011年09月23日

動員ってさ

消去法で選ぶのと、能動的に欲するのには思った以上に差があるものだ。特に長い年月を経ればその差は甚大だ。

人が行動するには理由が要る。理由なくして起こした行動は理由なく頓挫し幻滅する。しかし理由があれば人は必ず能動的になるものだ。


イベントごと、作品の発表。いつも集客つまり商売の話がつきまとうわけだが、動員する側もされる側に理由を提供できないままに行動するのは辛いものだ。

それを無視して感情論的かつ肉体労働的なルーティンに堕ちるなど愚の骨頂。
posted by abesin at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年09月22日

遠い野菜

木曜は近所のスーパーで野菜の特売をやっている。カミさんと覗きに行くが、相変わらず産地で購入したいと思えるものは少ない。

このスーパーTは、積極的に東北地方太平洋側の野菜を仕入れているように見受けられる。しかしそこにポリシーなど無いことは、産地表示の忘れや容量の表記ミスなどからも伺える。

食品というものは個々の特性から流通まで千差万別、しかも毎日のことだからちょっとした差で積年のこととなる。いくら細かいルールを作っても縛りきれるものではなく、どこか売り手の善意に頼らざるを得ないところがある。

本来、他人任せにできるものではないのだ。

国内の農業はいま不信に満ちている。だからといって、縁の遠い外国に頼りきりになるのも恐ろしいことです。
posted by abesin at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2011年09月21日

帰宅困難

台風が本州に直撃、あの止まりにくい京急もストップして、一時的に東京から横浜方面へ向かう電車が全くなくなった。

小学校も12時に集団下校したらしい。その頃オレも役所に用事があって外出したが、風雨がかなり強くなっていた。

今年に入って帰宅難民という言葉を聞いたのは二度目だ。

台風が来るのは前日の夜から分かっていたものをなぜ無理して出社登校し、こともあろうにもっとも危険かつ不快な時間帯に無理矢理に帰ろうとするのか。

暴風で揺れる家の中で、駅で立ち尽くす人々のニュース映像を見ながら鼻くそをほじくっていた今日。
posted by abesin at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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