2011年07月28日

原爆ドーム、そして広島から大阪へ

広島のHanaホステルは清潔で過ごしよい宿でした。タイやインドでよく世話になるバックパッカー向け宿の雰囲気がそのまま。ただ日本なので無駄に広々とはしてませんけどね。スタッフは親切だ。

Hanahostel

ドミで一泊2,500円と、まあまあの値段。整頓されたキッチンと、屋上の洗濯場が使いやすい。広島駅から徒歩5分というのもポイントが高い。

 

11時にチェックアウトし、昼飯を物色する。屋久島の本家のおばちゃんに「名物に美味いものなし」と断言されたのを思い出しつつ、広島の名物らしい、呉冷麺を試してみた。さっぱりして暑い日には悪くないけど、もう食べることはないだろう。

 

駅前から路面電車に乗る。それにしても、雲もなく綺麗に晴れている。原爆投下地に広島が選ばれた理由のひとつに、夏の快晴というのがあったような。

Romendensya

 
 

路面電車を降りると、公園の樹々の間にドームが見えた。向こうに見えるのは投下目標にされた相生橋。

Dome1

 
 

近づいてみると、ドームの中は瓦礫の山が今も残る。元は広島県産業奨励館であった建物である。爆心地からほど近く、垂直に爆風を受けたためにこういう破壊され方をしたという。66年前の惨禍の、その現場にいま立っているという感慨が、ある。

ユネスコの世界文化遺産に登録されているが、人間が本当の意味で反省していない今は、まだ遺産と言っていいものかどうか。

Dome2

 
 

公園を抜けた先にある広島平和記念資料館は、夏休みということもあって小中学生が多く来館していた。海外からの客も文献や溶けた煉瓦、ぼろぼろになった子どもの服などを熱心に見ている。

展示されている資料はこれまで書籍で見たことがあるものも多かったが、原水爆実験の度にその当事国へ送っているという広島市長の500通を超える抗議文が圧巻であった。愚行の続く限り、これからも続けて欲しいと思う。昨年、沖縄でひめゆりの塔を訪れた際も感じたことだが、当地では66年前の出来事がまだ記憶に新しく、意識が高い。

広島、長崎以外の地域でも、経験からしか学べないというのでは愚かだ。世界に当事者としての意識が広がりってほしい。

 
 

広島を後にし、昨日と同じく青春18きっぷを使って大阪へ向かう。

Jikoku

 

昨日の17時間超え移動でまだ尻が痛いが、今日は6時間ほどの旅なので楽だ。

大阪駅でJRを降り、梅田から地下鉄に乗り換えると、この街のテンションの高さに押されて大阪弁(のようなもの)が口から出てきた。それをカミさんはさんざ気持ち悪いとなじった癖に、自分も口からポロリとこぼれてますやんか。

 

心斎橋まで行き、以前にK氏のライブ同行の際に連れてきてもらった居酒屋、味穂へ。関東ではなかなかお目にかかれない水なすがまったく絶品。手前はすじ肉を味噌で煮た、どて焼き。

Mizunasu

 
 

それから、するめの天ぷら。

Tenpura

 
 

とどめはだし巻き。大阪って、こういうガヤっと賑やかな店で、いらちに喋りながら、このだし巻きみたいに上品な味付けの料理をあてにして酒を飲んでる、ってのが毎度ふしぎなところです。

Dashimaki

 
 

どれも旨かったので、名物ではないに違いない。

 

さすがに都会なので、繁華街から歩いて帰れる範囲には安宿が見つからない。渋谷でいつも世話になっているネットカフェのチェーン店を見つけたので、風情には欠けるが今夜の宿とすることにした。

店の書棚を見ていたら、関西出身なんとかふらい先生の新刊にご挨拶してなかったのを思い出したんだが、在庫なしとはどういうことかと小一時間(以下ry

posted by abesin at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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