2011年07月05日

隠さず見せるというあり方

隠す、隠さない、という考え方に変革があって久しい。

その空気感の変化は、三月の地震と原発事故以降が特に大きい。しかし、顕在化しているのが昨今なのであって、実際に市井ではずっと以前から移行期を迎えていた。

音楽の売り方はとっくの昔にシフトを完了していた。隠すことでアーティストバリューを上げるやり方から、ブログやTwitterなどのツールを用いて積極的に見せる、つまり隠さないというフェーズに入っていたのだ。

音楽は嗜好品だ。あってもなくても良いものだから、消費者の心の琴線に触れるものだけが支持される。だから、市場のニーズをいち早く反映し、隠す売り方から見せる売り方にシフトするのも早かったのである。

逆に、生活必需品であればあるほど、そのシフトするスピードは遅い。簡単にキャリアなどを乗り換えが出来ないのも理由のひとつではあるが、経済活動に悪影響を与えないように国が事業を保護しているため、簡単にその形態を変えられないというのが大きいだろう。

特にインフラ事業は手堅い利権であるから、景気回復というお題目の下、既得権益を保護しているのだ。

ここでいちばん問題なのは、必需品はそこにあって当たり前という意識が平常化し、意思を持って選択する機会もなく、興味を持たれないことだ。

10万円のテレビはネットや店頭で吟味するくせに、年間30万円の電気代はさして考えもなく支払う。

以前は当たり前であった、安定した電気、安全な食品、疑念なく飲める水が危うくなった今、必需品こそ見せる売り方してもらいたいし、隠す売り方をすれば選ばれない、という社会の雰囲気を作るのは消費者の責任であるだろう。
posted by abesin at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
<< 2011年07月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
過去ログ