2011年07月31日

目的はそこじゃない

実家に送り付けておいた、旅先からの荷物を取りに行ったついでに、たらふく飯を食ってきた。ここんとこ、飯をご馳走になるのに遠慮がなくなってきた。オトナになったのである。


帰ってきて、旅の写真を整理していたのだけれど、一眼で撮ったのよりiPhoneのカメラで撮ったやつの方が良い写真だったりすることに気づいてガッカリだよ。

それはリンゴ印が優れものというより、一眼を使いこなしてないのだろう。


無念ではあるが、それはシンセサイザーの音色作ってて、20年近くやってても今だにプリセットに勝てなかったりするのと似ている。

音づくりの方では考えた結果、そういうもんだと割り切って楽しくプリセットを拝借しているのだけれど、要はオトナになればいいのだ。目的はそこじゃないんだからね。
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2011年07月30日

テレビつまらないって言うのは

のんびり旅をしてきた。それでも、帰ってきてすぐは疲れが出たようで、昼ころまで寝ていたよ。


カミさんは夕方から近所の行きつけのバー、Nの周年パーティだといって出かけてしまった。ひとりでテレビを見ながら夕飯を食っていたのだが、まったく興味をそそる番組が無いよ。

真面目な番組ばかりでは息がつまるし、下世話なものをひでえとかうっはぁとか言いながら観るのは結構好きなんだけれど、本編までずっとCMのようなのには辟易するね。


以前はテレビつまらないってわざわざのたまうのは、一部のオレかっけー野郎の特技みたいになってたけど、昨今は巷でもテレビがつまらないという話題をよく聞く。

3/11以降、僕らに日常で考える習慣がついたので、思考停止してるテレビをつまらなく感じるようになったのではないかしら。
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2011年07月29日

最終日、大阪から横浜へ

いよいよ今日で旅は最終日。最後の日と決めたつもりはないんだけれど、横浜に着いてしまうんだから最後の日なんだろう。

当初はちょろっと屋久島の事情を偵察してこようって感じだったのだが、気づけば2週間以上が経過していた。

今日も昨日に引き続き、食い倒れる。なんで胃袋はひとつしかないのだろう。

Doutonbori

 

 

まずはE先輩に教えてもらった、千日前わなかのたこ焼き。ねぎ塩とかつお節ポン酢が甲乙つけ難い。

Wanaka

 
 

呑喜帆亭のぶた玉。キャベツの層がふわっふわっタイムである。(あれ?)

Butatama

 
 

前回は満腹のため断念した、金龍の畳敷きの席にも座ってみた。

Kinryu

 
 

騒動のあった大たこは、通りの向かいに移動しており、串揚げ屋の軒先を間借りして、席も共用していた。

 
 

まだ串揚げやけつねうろんにも後ろ髪をひかれたが、あんまり羨ましがられる行動をとりつづけるというのも心苦しいし、何よりももう、腹一杯だ。

地下鉄で大阪駅に戻り、最後の青春18きっぷを使う。このきっぷは一冊が5回セットなので、二人で3日移動すると一枚足りない。もう一冊買って余りを金券屋に売るか、一回分のを探して買うかしなければならないが、今回は期限までまだ日数があるのでもう一冊買うことにした。

Oosakayokohama

ここから先はずっと東海道線なので、乗り継ぎは良い。それはそれで飯を食ったりトイレに行ったりする時間がないので困る。まあ、本数が多いので下車して乗りなおせばいいのだけれど、灰色の街並みを眺めていると急いた気持ちになり、結局は通して乗ってしまった。

浜松を越えると、もう首都圏だ。日常で使ってる電車と変わらない。

ちょうどその辺りから帰宅ラッシュの時間帯になったので、乗客も通勤客が増えてきた。2週間ぶりにのんびりしたところから帰ってきてみると、みんななんと疲れた不機嫌な顔をしていることか。やはり都会のこういったありようは、何かが間違ってると感じる。

地べたを這いつくばってフェリーと鈍行で3泊4日、1,500Kmを移動してくると、街並みや人の表情がグラデーションして変わっていくので、こういう普段なら気に留めないことに気づけるのが、よい。

 

横浜駅に着くと、露店のワゴンで桃を売っていた。ずいぶん安かったが、普段ならこれ見よがしに大書してある産地の表示がなかった。

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2011年07月28日

原爆ドーム、そして広島から大阪へ

広島のHanaホステルは清潔で過ごしよい宿でした。タイやインドでよく世話になるバックパッカー向け宿の雰囲気がそのまま。ただ日本なので無駄に広々とはしてませんけどね。スタッフは親切だ。

Hanahostel

ドミで一泊2,500円と、まあまあの値段。整頓されたキッチンと、屋上の洗濯場が使いやすい。広島駅から徒歩5分というのもポイントが高い。

 

11時にチェックアウトし、昼飯を物色する。屋久島の本家のおばちゃんに「名物に美味いものなし」と断言されたのを思い出しつつ、広島の名物らしい、呉冷麺を試してみた。さっぱりして暑い日には悪くないけど、もう食べることはないだろう。

 

駅前から路面電車に乗る。それにしても、雲もなく綺麗に晴れている。原爆投下地に広島が選ばれた理由のひとつに、夏の快晴というのがあったような。

Romendensya

 
 

路面電車を降りると、公園の樹々の間にドームが見えた。向こうに見えるのは投下目標にされた相生橋。

Dome1

 
 

近づいてみると、ドームの中は瓦礫の山が今も残る。元は広島県産業奨励館であった建物である。爆心地からほど近く、垂直に爆風を受けたためにこういう破壊され方をしたという。66年前の惨禍の、その現場にいま立っているという感慨が、ある。

ユネスコの世界文化遺産に登録されているが、人間が本当の意味で反省していない今は、まだ遺産と言っていいものかどうか。

Dome2

 
 

公園を抜けた先にある広島平和記念資料館は、夏休みということもあって小中学生が多く来館していた。海外からの客も文献や溶けた煉瓦、ぼろぼろになった子どもの服などを熱心に見ている。

展示されている資料はこれまで書籍で見たことがあるものも多かったが、原水爆実験の度にその当事国へ送っているという広島市長の500通を超える抗議文が圧巻であった。愚行の続く限り、これからも続けて欲しいと思う。昨年、沖縄でひめゆりの塔を訪れた際も感じたことだが、当地では66年前の出来事がまだ記憶に新しく、意識が高い。

広島、長崎以外の地域でも、経験からしか学べないというのでは愚かだ。世界に当事者としての意識が広がりってほしい。

 
 

広島を後にし、昨日と同じく青春18きっぷを使って大阪へ向かう。

Jikoku

 

昨日の17時間超え移動でまだ尻が痛いが、今日は6時間ほどの旅なので楽だ。

大阪駅でJRを降り、梅田から地下鉄に乗り換えると、この街のテンションの高さに押されて大阪弁(のようなもの)が口から出てきた。それをカミさんはさんざ気持ち悪いとなじった癖に、自分も口からポロリとこぼれてますやんか。

 

心斎橋まで行き、以前にK氏のライブ同行の際に連れてきてもらった居酒屋、味穂へ。関東ではなかなかお目にかかれない水なすがまったく絶品。手前はすじ肉を味噌で煮た、どて焼き。

Mizunasu

 
 

それから、するめの天ぷら。

Tenpura

 
 

とどめはだし巻き。大阪って、こういうガヤっと賑やかな店で、いらちに喋りながら、このだし巻きみたいに上品な味付けの料理をあてにして酒を飲んでる、ってのが毎度ふしぎなところです。

Dashimaki

 
 

どれも旨かったので、名物ではないに違いない。

 

さすがに都会なので、繁華街から歩いて帰れる範囲には安宿が見つからない。渋谷でいつも世話になっているネットカフェのチェーン店を見つけたので、風情には欠けるが今夜の宿とすることにした。

店の書棚を見ていたら、関西出身なんとかふらい先生の新刊にご挨拶してなかったのを思い出したんだが、在庫なしとはどういうことかと小一時間(以下ry

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2011年07月27日

青春18きっぷで鹿児島から広島へ

Photo_11

 

青春18きっぷを使い、2泊3日かけて鹿児島から横浜を目指す。一日目の今日は、17時間22分をかけて、鹿児島から広島へ移動。

Photo_4

 

乗り換え11回とか、だいぶ楽しいことになりそうです。

Photo_5

 

肥薩線は単線の一両編成。ディーゼルエンジンを唸らせて走る。

Photo_6

 

懐かしい感じの運転席。

Photo_7

 

築100年を超える駅もあります。

Photo_8

 

田んぼを横切り、林を抜け、煉瓦積みのトンネルをくぐり、スイッチバックを繰り返して進む。

Photo_9

 

人吉駅のきじ馬。

Photo_10

 

1時間乗車しては1時間待ちの、のんびりした旅は情緒満点。鹿児島から熊本を走る肥薩線、おぬぬめです。

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2011年07月26日

屋久島〜鹿児島中央

2週間近く居た屋久島にさよなら。今日から地べたを這い蹲って神奈川を目指します。昨日まで晴れ続きだったのに、移動しようと思ったら雨だよ。

カミさんは「私が傘を忘れぬようにと雨が降っている、すべては私に都合の良いように出来ているのだ」と言った。•••さいですか。

メモ
屋久島宮之浦港 8:20 フェリーはいびすかす 3,200円

鹿児島 七ツ島港 14:40 〜坂之上駅 登山帰りのオジさん2人組とタクシー相乗り 1,100円(一人275円)

坂之上駅 15:28 〜鹿児島中央 JR 270円

太陽ヘルスセンターの広間で雑魚寝 温泉つき 2,000円

 

Photo

太陽ヘルスセンター

 

Photo_2

優雅な夕飯

 

Photo_3

どろぼう猫こええ〜w

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2011年07月25日

里猫に医者は必要か

一昨日から居なくなってた本家の猫、Tが帰ってきた。ケンカしたのか、後足と鼻に怪我をしていて、元気もない。ストローをスポイト代わりにしてミルクをやるが、ゲホゲホするばかり。

医者に連れて行こうかとも思ったが、本家のおばちゃんにその気はないようだし、これも外を出歩く里猫の運命と考えると、明日は帰ってしまう人間がそれを乱すのは躊躇われる。

寿命とは殆どが運というか、神の采配というか、そういった類いの要素で決まるのだろうけれど、その中に医療がどこまで含まれていいものか、考えてしまう。
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2011年07月24日

釣りして山菜とって最高やぞ

夜はKさん夫妻と夕食。

この人もUターン組。都会じゃ毎日が平坦な繰り返し、ここじゃ明るいうちに仕事上がって、釣りして、梅干し漬けて、山菜摘んで、自家製グァバ茶を飲んで、そういうの好きなら最高やぞ、と力強く語った。勇気をもらいました。

んで、食事の後はお決まりのカラオケ。もう10年近く屋久島でしかカラオケなんぞ行ってない。泥酔していちごコンプリートとか歌い始めなくてよかったよ。

でも何でか最近は自分から酒を飲もうという気が起きない。どっかで寝てる間に生まれ変わったのかもしれない。
posted by abesin at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

彼らの音楽、僕らの音楽

タイの田舎町、ノーンカーイで欧米人経営の宿に泊まっていたときのこと。

英語のガイドブック、ロンリープラネットに掲載されているのだろうその宿は、ローカルへどっぷり浸かることに抵抗のある欧米人に特に人気がある。

その日は週末で、ひとり旅から数人のグループまで、合わせて10人以上の欧米人の若者が宿泊していた。

夜になり、テーブルが並ぶ川沿いのガーデンでは、誰となくパーティが始まった。バックパックからは旅行に持ち歩くにはちと大きな、iPodを繋ぐオーディオ装置が取り出された。

オレらの嗜好としては、せっかく遠くまで来たのだから、その土地にもともとある音を聴いて過ごしたいので、チャートに並ぶような洋楽なんぞ聞きたくないんだが、そんな傍若無人ぶりにはここでは触れない。

夜も更け酒も進み(酒も地元のものは飲まない、勿体無い!)、ピンポン玉をコップに投げ入れるアホっぽいゲームが始まった。王様ゲームのようなルールを採用しているのかもしれない、かなり盛り上がっている。音楽は流行りのテンションの高いヒップホップに変わった。

皆が踊るようにノリながらゲームや会話に高じている。皆が知っている曲なのだろう、フックになるような歌詞の部分では一緒に歌う。というかヒップホップなので叫ぶ。イエ〜イ、だ。

その様子を遠くから見ていて、その遊び方、ノリ方と、最新のヒップホップ、R&Bがとてもマッチしていたように思う。それは彼らの音楽なんだ。彼らにとって同世代的で、現在進行形の、彼らの音楽。


同じような曲は、渋谷界隈に行けばいくらでも聞くことができるし、それがパーティならやはり皆がノっていて盛り上がることだろう。しかし、ノーンカーイでの光景を見た後には、渋谷のそれは僕らの音楽じゃない、と思えてきた。

日本の若者も、物心がつく頃からヒップホップやR&Bを聴いているし、日本語のラップだって生まれてからかなり経ち、歴史があると言ってよい。真剣にブラックミュージックに取り組む日本人が沢山いることも知っている。


だが、ケントが津軽弁を喋りボビーが関西弁をマスターしても、彼らに浴衣が似合う日は来ないのだ。
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2011年07月23日

ウチナーとナイチャーの温度差

Iターン組と、地元の温度差は触れれば触れるほど大きいと感じる。

郷に入っては郷に従えを蔑ろにしたくはないが、やっぱり地元の人の話ばかり聞いていると、ちょっとばかし元気がなくなるな。東京人よりも発想が都会に傾いていることが少なくない。

都会育ちが自然に憧れるように、地方の人たちの視線の先に都会の便利さがあるのかもしれない。すべての人に当て嵌まる訳ではないが、田中角栄的な箱モノ主義がいまだに根強いと見てとれる。

便利さとは、経済の観念でいうところの新しい価値を創造することなんだけど、要するにあの手この手でピンハネする方法を編み出した産物だ。目の前に吊るされたニンジンに飛びつけば、馬の如き労役が待っている。

ただ、地元横浜では長い生活の中で無意識に、近い考え方の人間だけと付き合うという、隣人の選別が済んでいるために、思想の違いを意識することが少なくなっているって要因もあるから、一概に断ずることは危険ではあるけれど。

暗闇でおっかなびっくり、手探りで周囲を確かめるような毎日である。


昨日あたりから、どうも尾の間あたりが人間的にも気候的にも、オレらに向いた温度のようだという話になってきてるので、紹介してもらった人に会うためもあって、今一度行ってみた。海から急激にそそり上がりモッチョム岳に至る景観が美しい。

ここでも、紹介してもらった方は親切だった。いきなり伺ったのに、ゆったりと応対してくれる様は、何だろう、余裕を感じさせる。東京からの移住者である先方は、自分のペースでやったらいいですよ、と言った。


夜は叔父の家でご馳走になる。ビールを手土産に持参したけど、テーブルには三岳の一升瓶が鎮座ましました。
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