人間の目指すところなんて、煮詰めればそうそう個々での違いなんてないんである。
ただ、山側から行くか、海側から行くかなんて、途中のことを語ればかなり違ってくるのかもしれない。しかし、最後に行き着くべきところ、行き着きたいと欲する目的地には、そんなに違いはないはずだと思う。それは何でかはまた、今日でない日の脳を使わないと分からないけど。
プリミティブな表現から、本質である何かと近づきたいという試みあり。
ソフィスティケートすること、洗練することによって、動物たる人間の呪縛から解かれたいという試みあり。
方法論でぶつかりあっているうちは、まだまだ神様も気に留めてくれないだろうと思う。
とはいえ、辿る道筋には大いなる冒険が含まれていることは確かだから、ナイーブな僕らがそこでぶつかることは、いた仕方ないし、むしろ公正である。
僕らに出来ることは、自分と違った地図も存在することを、認識するくらいしかない。
そして、どちらの道を行くかを決めることであり、それを日々の生活に反映する工夫を持つこと。(いちど決めなければ、反省する材料に足りないし、検証なきところには進歩もない。)
伝えたい、という欲望と、自分を掘り下げる過程を客観視されたい、という希求は、同じゴールを目指しているのだ。