さんざ酒を飲んだ後、駅前の牛丼屋で飯を食って締めた。一人になって一息ついて、黙って飯をかっこむ、その店内のBGMの説教臭いこと。
流行歌をかけているんだろうけど、その不自然な歌の世界はまったく、飯をまずくするだけで沁みてこない。コアなことだからこそ、敢て口に出さなかったり、婉曲してみたり、そういうやり方で大事にしてきたようなことを、妙に平板で即物的な形に切り売りをしないと成立しない商売になったんですね、流行歌は。
そもそも、そのジャンルは今日の生きる力であったり、応援歌であったり、はたまた叶わない憧れだったりしたものだけれど、僕らの足下にある影の色形を、単一的な価値観でトレースするだけの存在になってしまいました。
僕らは、世のあれこれに対して、自分なりの物差し(価値観)を持って、それぞれ対処しているわけだけれど、その物差しの数が圧倒的に少なくなっている気がする。みんな同じ物差しである必要はないし、一人が複数の物差しを持っていて然りなんだけれど、そうあるのが不安なのだろうかと、今の流行歌を聞きつつ思う。