2006年06月20日

暑くなってきた

暑くなってきた。腰痛がひどくなってからもうすぐ一年が経とうとしている。同じ季節がまた巡ってきて夏の匂いがまた流れてくると、ふとあの痛みを思い出す。夏は好きな季節だけに、なんだかな。季節が変わってゆくことは、目に映る様々な事象に色彩を与えるが、常に同じスピードで変わってゆくとしか捉えられないとするとそれは変化ではなくなる。常に同じ速度で走る車窓の景色を見飽きるように。

暑くなってきた。頭がぼーっとして、思いついた考えを後で日記に書こうとしても、その時には既に忘却の彼方。リハビリセンターでストレッチしてるときに考えてたあれは何だったろうか。皿を洗ってる時に考えたあれはどこにいってしまったのだろうか。

暑くなってきた。東南アジアの主婦は洗濯好きが多いそうである。日がな一日中ごしごし手洗いしているという。手で。暑い国は汗もかくだろうから、洗濯物が多くて手荒いでは大変そうである。国によっては洗濯機が充実してないというのもあろうが、「手で洗わないと綺麗にならないし、だいいち涼しくならないじゃない。」だそうな。水遊びの感覚か。

それとはちょっと違うかもしれないけど、もくもくと皿を洗っていると一点に気が集中するからなのか、一段違う意識のツボに入って、面白い考えが浮かんだりする。前述のとおり、容易く忘れてしまうんだけれど。

今日は仕事は休みだ。久しぶりに天気も良いので、一通り家事をしてしまった午後はずっとコーヒーを啜りながらレコードを聴いていた。先日のDJのとき、自分がやっている時間は結構お客が入っていたので、派手目なのをかけていた。でも実はもう少し地味な感じのがスイートスポットなので、今日はそんな落ちこぼれ盤たちに針を落としている。レコードを選んで人に聞かせるという行為は、ともすると多重人格的になりがちだ。自分の身体が面白いと感じる選曲と、人の目を意識した選曲とに乖離してしまうのだ。もちろん性格にもよるのだろうけど、誰でも多少はそういうことを考えることがあると思うし、音楽云々に限らずとも日常にも多数転がっている。

何かを頑張るという行為は素敵なことだし、達成感を得ることは人生に於いて不可欠である。しかし、頑張らなくても楽しめるというのも豊かなことだ。本当に必要な行為は、他人からの評価がどうだとか、金銭に換算できるかどうかとか、そういうことではなく水底にいつもゆっくりと沈んでいる感覚を、水槽を濁らせないようにそっと集めてくることなのである。それには変化もなく、非変化もなく、自然に存在している沈澱物的感覚に気づけるかどうかなのだ。
posted by abesin at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類
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