2005年09月30日

アーユルヴェーダ

最近気になるアーユルヴェーダについて、伊藤武著「身体にやさしいインド」に面白い記述があった。著者がインドに旅行した際に医者から聞いた話だという。人間の身体はエネルギーを循環させるために「火(ピッタ)」「風(ヴァータ)」「水(カパ)」でバランスをとっている。どれかが強すぎたり、はたまた弱ったりすれば身体という楽器のチューニングが狂うように、体調不良という不協和音を奏でる。そもそも、エネルギーの素は食物であり、ほとんどの病の原因も食物から来るという。これはむつう整体の書物でも同じことを言っており、東洋医学にルーツを持つから共通している(またはパクった)ものと思われる。

自然はそこに生きる生物に必要な食物を与えてくれる。例えば、夏の野菜であるキュウリや茄子は熱くなった身体を冷ましてくれる。冬に旬を迎える肉類は身体を暖め、体力をつける。ということは、季節が反対の南半球から輸入した果物を食べていると健康のバランスを崩し易くなるということだ。近所でとれた旬の食物を食べて暮らすというのがポイントだ、と腐りかけたバナナを食いながら考えた。そういえば、長寿で有名な沖縄はそういう生活をしていそうだし、2位の福井県は米も野菜も魚介も自給できる地域だよな。そんなことを考えてたらソーキそばやら越前蟹やら旨いものが食いたくなってきてしまう。言ってるそばから。

身体の調子を整える食も、愉しんで摂れることが重要とのこと。いかにも薬といった形で服用するよりも、日々身体に必要な食物を食べていれば、それは自然と舌にも旨く感じる。そういえば、外食が続くと野菜が欲しくなるし、なにより腹が減っている時は食事が進む。中国の医食同源は有名だけど、同じ東洋だけにインドもそういう考え方のようだ。関連しているのかもしれない。病は気からという言葉は漠然と頭にあったが、ここのところその実効性を強く感じる出来事が多い。

昨日、亡くなった夫の冷凍保存された精子から生まれた子どもの認知に関して、訴えを棄却する判決があった。自然な生殖から著しく離れるからとのことだったが、食物だけに留まらず利便性や目先の幸福のために彎じ曲げられていることは多くある。問題はそれらが不自然なことだと気付かず存在していることだ。本来の自然はどんな形をしていたのか、思い出せなくなっている。ネットで会っていない人間と意思疎通をしたり、コンピュータで音楽を合成したり、本来ならありえないはずの行動が見えない弊害を身体のどこかに顕わしているかもしれない。元にはもどれないことも多数あるけれど、元々はそれがどんな形をしていたのか知っておくだけでも意味がありそうだ。
posted by abesin at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 旧ひとるごちる
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