2005年09月22日

経験則と培うセンス

今日はむつう通い。まあまあ混雑していた。話声の煩いオバハンがいて、治療中も先生とべらべらしゃべくっていた。無神経だな、何しに来てんだと。居酒屋じゃねえぞ、と。

腰の調子はかなり良くなってきたので、送り迎えをしてもらうのは今日で最後にしたいところだ。電車で行けば30分くらいなんだろうが、車で行くと一時間かかる。電車の振動に耐えられるか少し不安だが、だんだんと社会復帰していく方向をとらないと気が滅入る。

車中のラジオでサンボマスターとやらがかかっていたが、帰宅して別の局を聴いていたらまた同じ曲がかかった。流行っているのだろう。流行歌って、そういうもんだな。彼等のことを泥臭いとか、熱いとか、そういう理由で好きだと言ってるのを良く耳にするが、実際は熱も泥もない、洗練されたアレンジだと思う。関係ないが、泥臭いから好きと言うような泥好きな人は、ラジオやCDで聴いただけでその感じを好きになってる訳じゃ無いと思う。以前にそういう泥臭い音楽の実体験があって、その経験則によって「好き」と判断しているのだ。これは泥系だけじゃなく、どんなジャンルでもそうなのかもしれないけど。まあそれはいいとして、その「好き」っていうことを他人に伝えるとき、相手も泥好きならいいけどそうじゃなければ大方ひくよね。音楽の好き嫌いって、その人が生きてきた経験によって培われるセンスだから、実体験以外でその音の本質を語る、伝えるっていうのはかなり難しい。CDを聴くのも実体験と言えなくもないけど、よほどCDっていうメディアにこだわって、CDである前提で製作されたようなものでなければ実体験とは言えない。ここ数年、腰が抜ける程に良かったライブなどはないけれど、始めて行ったフジロックとか、思い出すと足が向くってのがある。今年の夏は何も行けなかったけど。

夕方、映画「エターナル・サンシャイン」を観た。記憶を消してくれる会社があって、彼女との思いでを消して貰うことにした主人公。現実の出来事と脳内の葛藤が入り交じって時間軸もかなり交錯する構成。部屋の中に雨が降っていたり、角を曲がると同じ景色がくり返したりと、映像も面白い。人間の記憶は曖昧で順序も出来事の大きさも現実と比例しないが、その断続的な感じを上手く表現していて良い。思い出したくないシーンのフラッシュバック、思い出せない楽しい記憶、ふとした瞬間に出てくる何気ないシーンなど、自分の脳の扱い難さに共感できる。

リリー・フランキーの「東京タワー」を読了。物語としては劇的なフィクションではなく、どちらかと言えばよくある話。というより、親子関係に於ける普遍的感じ方を、彼の生い立ちから時間軸に沿って描いている。なので、びっくりするような展開や仕掛けがあるわけではないが、よくぞそこまでと言えるくらい素直な感覚を筆に落としている。飾らない、本当のこと。彼とその母が大切にしてきた事がそのまま本になったような作品で、思わず涙が溢れた。
posted by abesin at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 旧ひとるごちる
<< 2005年09月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
過去ログ